デースケドガーに関する考察その1 デースケドガーの歴史⑤ | FOOLS GOLD 

デースケドガーに関する考察その1 デースケドガーの歴史⑤

 

カサブランカで発祥したデースケドガーは、18世紀までに除々に世界中に浸透していった。18世紀中頃になると、英国で起きた産業革命が世界中で席巻するにつれて、デースケドガーも爆発的に広まった。特にアメリカでは、このゲームの心理戦の部分が風土に合っていたのか、ポーカーと並ぶ人気カードゲームとなった。アメリカの多民族国家ゆえの精神的同一感の希薄さ、または国家としての歴史の無さがその主な要因と思われる。アメリカ人はアメリカ人としてのアイデンティティを確立するために、デースケドガーに興じたのだ。

日本人で始めてこのゲームに興じたのは、後に立憲改進党の党首そして東京専門学校(早稲田大学)の創始者である大隈重信であった。大隈は、学生時代長崎にて遊学中、アメリカ人宣教師フルベッキのもとで、英語やオランダ憲法そしてアメリカ独立宣言を学んだ。生来の政治家体質を持つ大隈は、単なる学問のみならず、人間関係の掌握術を会得しようと、貪欲に知識や習慣というものを学んだ。デースケドガーもその一つである。デースケドガーのルールを教わった大隈はフルベッキと勉強の合間に興じたという。最初はこつが掴めず大抵負けていたが、文久元年弘道館の教授となるとともにうまくなり、その頃にはフルベッキも歯が立たなくなっていた。明治元年外国事務局判事となり、イギリス人公使パークスと論争して大隈は名を上げたが、実はディベートではなく、デースケドガーで決着をつけたことはあまり知られていない。

その後大隈は政界の中心人物の一人となっていき、それにつれてデースケドガーも日本で流行していった。大隈が日本にもたらした最大の貢献はこのカードゲームを広めたことかもしれない。晩年大隈はこう語ったという。
「俺はお札になるだろうか?福沢の野郎は人気者だからなるかも知れんな。ちきしょう『天は、、、』なんて名セリフはきやがって。それから元号も『慶応』『明治』『大正』『昭和』とくれば大学名シリーズで当然次は『早稲田』だよな。なあ小渕。そうだろ?えっ?違うの?本当かよ。まいるぜ。まあいいや。少なくとも俺にはデースケドガーがあるさ。いつか流行語大賞もらえるだろ」

[参考文献 「小説 大隈重信」民明書房館]



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