FOOLS GOLD  -7ページ目

1999~世界の終わり

1999年の話しをしよう。
前世紀末だ。
世紀末ということで、世間はどこかしら浮き足だっていたと思う。
コンピューターの2,000年問題が今となっては大袈裟に語られていた。
プリンスが名曲1999をセルフカバーし、90年代の旗手ペイブメントが名盤「TERROR TWILIGHT」を発表し解散した。
子供の頃、1,999年は某の大予言で世界の終わりの年とされていて、回りのみんなは結構本気で心配していた。だけど僕には当時でさえ、そのくだらなさに辟易していた。

そして皆に、分け隔てなく、平等に、公平に、1,999年がやってきた。

もちろん1,999年に世界は終わらない。
ただ僕にとっては、僕の小さな世界がほころび始めた年であったと思う。そのきっかけは「獣王」だ。


Space Oddity

地球管制塔よりキッキへ 地球管制塔よりキッキへ
プロテイン・ピルを服用し、ヘルメットを着用せよ

地球管制塔よりキッキへ
秒読み開始 エンジン始動

「コチラ キッキ 地球管制塔へ
今日ノ星ハズイブン変ワッテミエルヨ


僕ハ ブリキ缶ノ上ニ座ッテイル
世界ノ遥カ彼方ダ
惑星 地球ハ青イ
僕ニデキルコトハ 何モナイ」

Train-Train

それにしても日差しが強い。
とてもベンチで寝ていられない。
昼にマンガ喫茶に長時間いれば、金がかかる。
こんな時はどうしよう?
他の人はこんな場合なにするのでしょう?
でも普通の人はあまりこんなことで悩まないかな。
そんな僕もちょっとしたコツをつかんできた。
ラッシュアワーがおわった頃から、電車に乗って睡眠タイムで行ったり来たり。
山手線じゃダメ。
だって知り合いにあったりしたら恐怖!
だから田園都市線、
が僕は好き。

青空

昨日は公園のベンチで寝た。
目が覚めた時も当然同じベンチ。
この現実に僕は打ちのめされる。
なぜここにいる?なぜ家のベッドではないのだ?
あるいはなぜまだここにいる?なぜまだこの世界にいる?
なぜ?もういいだろ?
毎日何時間も自問自答する。
こんなになってもまだ結論を先延ばしにしている。
体中が痛い。まだここで寝っころがっていたい。
今日も快晴。青空だ。また眠ろう。

まぶしいほど青い空の真下で。

閑話休題1

ブログ始めてから早くも2週間が過ぎ、一つのアルバムくらいはエントリーしてきました。記念にkikkiセレクションVol.1を作成し、簡単なコメントを付けたいと思います。

1 There Is Light That Never Goes Out
 THE SMITHS

ロックシーンにおける80年代は停滞の時代だった。高度資本主義社会では、反体制の象徴であるロックは、その戦うべき相手があまりに強大であるため、その力に迎合することとなった。マーケティングによる分析、セグメント化したターゲット、そして有効なツール。もちろんその象徴はMTVだ。もちろん僕は「歌が世界の進むべき方向を変えることができる」などと思うほどロマンチストではない。またその時代のPOPSに対して否定的なわけではない。(80年代代表選手のマイケル・ジャクソンは好きだ)でも時代にシッポを振るロックがロックと呼ばれていた時代(代表選手ジャーニー・TOTO・ボンジョビ)は長く、あまりにも酷かった。
そんな80年代でも本物はある。闘うべき相手を見据え、自己の信仰を表明する。ようするにアティチュードを持ったミュージシャンたち。そんなロックに僕たちは飢えていたと思う。スミスを初めて知った時、こんなゲイでナルでコンプレックスの塊のクネクネと腰を振りながら歌うモリッシーを見て、はじめは「キモ!」と正直思ったが、次第にこれこそ僕のための歌だ、と思うようになった。彼らの音楽は弱者の立場から歌われ、そして明確な信念があった。それはこういうことだ。「この世界はどうしようもなく辛く、苦しいことがある。それでも、サヴァイヴする」という意思だ。反体制の弱者のためのロック。スミスがなければ、僕はどんな人間になっていただろう?


2 The Bends
 RADIOHEAD

潜水病。ご存知レディヘの2枚目のアルバムタイトルです。こんな言葉このとき初めて知った。ジャケが、まさに潜水病な人。曲調は1枚目を踏襲したギターパワーポップ。わるくない。


3 I’m Waiting For The Man
 THE VELVET UNDERGROUND

アンディ・ウォーフォルとヴェルヴェッツの関係は、つんくとモー娘の関係と違う。初めに企画したのはアンディかもしれないが、プロデューサーのアンディをルーリードもジョンケイルも喰っていた。だからこそ伝説のバンドたりえたのだと思う。


4 Blue Monday
 NEW ORDER

JOY DIVISIONのヴォーカルが自殺したため、残りの3人とおまけ一人でつくったバンド。ピーターはマンチェスターのボス的存在。
浪人中にバイトしていた頃、その仲間と居酒屋でこの歌を大合唱した記憶がある。なつかしいなあ。


5 Blue Monday88
 NEW ORDER

変な歌。原曲をバカにしたアレンジ。たぶん彼らなりの理由があるのだろう。


6 Here
 PAVEMENT

90年代になってまず必要だったのは、前時代の解体作業だった。グランジもハードコアもヒップホップもブレイクビーツも方法論は違えども目指すものはひとつだ。そんななかヒョイとでてきたペイヴメント。この壊しっぷりの気持ちよさ。それでいてとてもチャーミング。90年代の重要なロックバンドベスト10(人気じゃないよ)に絶対入る。と思う。かな?


7 All Apologies
 NIRVANA

エントリー読んでください。


8 Heart-Shaped Box
 NIRVANA

「IN UTERO」のファーストシングルカット。この中では「NEVER MIND」風。カートの死を心から悼む。有名人の死で一番ショックだった。


9 Hurt
 NINE INCH NAILS

ノーコメント


10 Mr Self Destruct
 NINE INCH NAILS

ノーコメント


11 Higher Than The Sun
 PRIMAL SCREAM

ノーコメント


12 Supersonic
 OASIS

これもエントリ-を読んでください。


13 Range Life
 PAVEMENT

1枚目のアルバムは壊しっぱなしだけど、2枚目は壊したものをパッケージして、オブジェにしたカンジ。これは名曲です。


14 空も飛べるはず
 SPITZ

スピッツ大好き。この世界がどんなに苦しく辛いものだとしても、僕らにはスピッツがいる。


15 どぉなっちゃてんだよ?
 岡村靖幸

岡村ちゃんはミッチーになりたかったのだと思う。だけどミッチーほどかっこよくないし、ナルでもないし、また音楽の才能がありすぎた。しかもデブ症。
岡村ちゃん。こんどは逃げないでね。もうミッチーになるのはミッチーにまかせて音楽に専念してね。だってこんなファンキーでチャーミングな曲作れる人ちょっといないもの。


16 Park Life
 BLUR

武道館でデーモンがセンスを持ってはしゃいでいたのを思い出す。このころのデーモンは世界で一番モテルのは俺だって顔をしていた。


17 熱帯夜
 THE YELLOW MONKEY

解散しちゃったね~。イエモンは嫁さんが大ファンなんだよね。演奏が上手すぎたのが仇となった気がするね。 


18 Loser
 BECK

90年代最重要アーティストの一人。かわいい顔したイナカモノ。ペイブメントが壊したロックをこの人が再構築した。



Loser

「オレハマケイヌ ナンデコロサネエンダ」

94年にベックがこの曲で鮮烈なデビューを飾った頃、僕はそれなりの大学を卒業し、一部上場の大企業でやっと仕事になれたばかり、まだ仕事に意欲もあり、出世なんて目指したりして、それでもって、プライベートでは、かわいい恋人もいて、一緒になってもいいななんて考えていて、そいでもって、僕の好きな音楽はこの頃、具体的に90年代になってからだけど、UKもアメリカも日本もすごいことになってきていて、ティーンエイジを80年代で過ごした僕は不幸だな今のキッズが羨ましいななんて考えていて、そんな中でベックが出てきて、キャッチーなメロディ、インパクトのある歌詞だけど、僕には関係なかった。だってあたりはキラキラと輝いていた。対岸の火事だった。

でも今は夜中の公園のベンチに一人で座っている。明日はダンボールを下に敷いているかも、あさってはダンボールで家を作っているかも。
「オレハマケイヌ ナンデコロサネエンダ」
10年が経過し、僕の唄になった。

熱帯夜

眠りが浅い。ドアが小さく軋む音に敏感になる。音に反応して玄関までいくが、ドアは静かに閉まったままだ。旦那が行方不明になり2週間。会社にも実家にもいっていない。彼女は「砂の女」の結末を思い出そうとしたがダメだった。こころあたりはあらった。もうどこに消えたのかわからない。警察に捜索願いをだした。

Park Life

この2週間、寝る場所はマンガ喫茶・雀荘・田園都市線(昼だけど)のどれかだった。でもこれから先ことを考えると公園デビューをしとかなくては、と決意し宮下公園へ。学生の頃ナンパした女の子とイチャツイタ以来かな。

本屋を右に曲がって公園へ入る。まずネコに挨拶。「こんにちは。しんがおのkikkiです」階段を上がってベンチを探す。公園ライフは幸先よく一箇所空いていた。腰をおろしてまずいっぷく。ふ~~。落ち着いたところで先輩に挨拶にいこうかなと考えていると、ほとんど周りはカップルなことに気づく。
ムムム公園の選択を間違えたかな。まあいいや。こっちはまだルーキーだもの。失敗はつきものさ。



どぉなっちゃてんだよ?

次の水曜日に渋谷のエスパースで「1/2の神話」というイベントがあるという。2台に1台が設定6というたぶん最強のイベントだ。逃亡生活も2週間目くらいになるとこういうときに軍資金?をかせがなければ、とおかしな使命感が湧いてくる。もちろん狙うのは北斗だ。だって吉宗に座って低設定だったら目もあてられない。きっと台移動は不可能だろうし。

朝、開店と同時に3Fまで上がり、壁に沿うシマに目を付ける。6台並んでいるうち右から2台目に携帯を置く。ここで勝負だ。やはり同じシマの残りの5人が気になるので、バトルボーナスの回数をチェックしつつ30分。ちょうど10Kの投資で赤7ゲット。3回で終わったが、100回転くらいで2回目ゲット。今度は10回つづき、順調な滑り出しで3/4箱くらいコインを貯める。右の女の子は20Kくらい、左のあんちゃんは30Kくらい投資している。          ふ~、いいカンジ。今日は勝てるかな。

でももちろんそんなにうまくはいかない。それからはケンシロウの練り歩きねりあるきネリアルキ。コインを飲まれ、結局14時くらいに30K負けで降参した。

その夜、気になっていたので、22時頃また店を訪れた。僕の台はバトルボーナス30回くらいで空席だ。早めに見切りをつけてよかった。だけどよく見ると僕がいたシマの残りの5台は90回を越えていた。そのシマだけみれば「5/6の神話」だったのだ。
おい!おれは5/6をはずしたのかよ!
三村ばりにつっこみをいれたが悲しくなるだけだった。

空も飛べるはず

死について話したいと思います。

はじめて人に死にふれたのは、小学校の低学年だった。近所のガキンチョと裏山に入ると、おばあさんの死体があり、ぼくたちは何かいけないものを見てしまった気がしてその日は皆すぐに家に帰った。僕は家族にそのことについて何も話さなかったのだけど、(なぜだろう。自分でもわからない)一緒にいた一人が親に伝え、警察に連絡した。5人くらいで発見したのだけど、親に話したのは一人だけだった。

その次は小学校高学年くらい。近所のよく遊んでくれた兄ちゃんの妹が死んだ。オフコースと中島みゆきのレコードをカセットに録音してもらったことがあった。

大分時間が開き大学生になってから、親戚のおばさんがくも膜下出血で死んでしまった。

時々、人の死について考える。死は生の外側にあるわけではなく、生とくっついた状態にあるとつくづく思う。ちょうど、ものとその影のように。

兄の死はそれぞれみんなに違った形でくっついていく。それでも、それだからこそ、僕たちは生き抜かなければならない。